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第9回文化サロン   2005年9月22日
「先人探訪こぼれ話〜何ごとも縁によって成る〜
  郷古潔・松田武一郎・新渡戸稲造・後藤新平・川端康成をめぐる群像」
   
    ゲストスピーカー:菅原 昭平氏
プロフィール
江刺市岩谷堂に生まれる
岩手青年師範学校卒業後岩手
県内の小中学校で教壇に立ち
学校長を経て
昭和62年3月退職
同年4月盛岡先人記念館開設
準備主幹に就任し同年10月に
開館した盛岡市先人記念館
初代館長として活躍、
平成4年3月に退任

現在は財団法人岩手県教育
振興基金理事長、
財団法人岩手教育文化センター
評議員


菅原昭平氏



 川端康成の初恋の人、伊藤初代の話をされましたが、「何故岩手に関係があるのかな?」と受講者は興味津々。

 伊藤初代の父は江刺、岩谷堂上堰出身。初代は父忠吉が会津若松第四小学校用務員をしているときに生まれたが、初代10歳の時、母は29歳で急死し、忠吉は初代を連れ岩谷堂に戻ってきた。菅原昭平さんも岩谷堂上堰の出身であり伊藤家を知っているそうです。
 川端康成は帝大在学中大正8年21歳の時、初代14歳(カフェ・エランの女給)に出会い、23歳の時に学友の鈴木彦治郎らと岩谷堂を訪れた。初代と一時婚約するが、初代から手紙にて一方的に断られる。
 初代が女給をしていたカフェの出資者の兄、平出修は、明治42年に石川啄木、高村光太郎、北原白秋、吉井勇らが発刊した「スバル」の出資者であった。
 初代は、その後2度の結婚をしている。一度受け入れた婚約なのに何故破談となったか未だに謎だそうです。
 川端康成もその後結婚はしたものの「伊豆の踊り子」はもちろんのこと、「かがり火」「非常」「駒子」「南方の父」「雪国」といずれも初代が偲ばれる作品のようだ。 
 
 昭和49年川端康成の3回忌に江刺岩谷堂の向山公園に川端康成の碑が建立され、碑の裏には一校、東大をともにした鈴木彦次郎の揮ごうによる文がつづられています。

 大正12年10月16日若き日の川端康成は私を含めた学友3名と共に此地を訪れた。
 初恋のひとともいうべき伊藤初代の父忠吉に会うためであった。この恋はついに実を結ぶに至らなかったが、川端の全作品を味読するならばいかに少女初代の心象がその底に色濃く投影しているか認めずにいられない。
 従って彼女の生地岩谷堂の山河は生涯川端の胸に哀しく懐かしく宿っていたであろう。
       昭和49年4月16日
         川端康成の三回忌に  友人 鈴木彦次郎
 菅原昭平さんは、「今、萩が美しいですね。」と新渡戸稲造が好んだ西行山家集の短歌「わづかなる庭の小草の白露をもとめて宿る秋の夜の月」と芭蕉の俳句「白露もこぼれぬ萩のうねりかな」を披露され、「何ごとも縁によって成り、繋がりがあるものです」と最初に郷古潔をめぐる人々について、次に川端康成と初恋の人、伊藤初代と鈴木彦次郎(今東光、川端康成と「文芸時代」を創刊した小説家、後に岩手県立図書館長にもなる)の関係について話されました。

 郷古潔は水沢出身、後に三菱重工社長となり産業経済の復興に関わる傍ら岩手出身の東京で学ぶ学生達のため岩手学生寮を建設した偉人です。
 その郷古は、帝大卒業後三菱合資会社に入社し明治42年九州筑豊三菱鯰田炭鉱へ転任と決まると「どうして炭鉱なのだ?」と進退に迷い、当時の海軍大臣斉藤実に相談「任地を見ずして赴任拒否は卑怯者である。勝つか負けるかの考えでなく正しいか否か、やるべきか否かを考えよ」と言われその後は炭鉱で働く人と共に身を粉にして働いたそうです。
 郷古の妻は、明治23年鯰田炭鉱所長になり、満鉄総裁だった後藤新平の抜擢で明治40年撫順炭鉱長になった、工学博士松田武一郎の娘直枝で、松田武一郎は、新渡戸稲造と同級生でもあり起居を共に学んだ間柄。

 松田武一郎が喉頭癌になった時診療に当たったのが、岩手県立尋常中学の時の郷古の同級生で共に一校に合格した九州帝国大学医学部の小野寺直助だったそうです。
 このように郷古は比類なき師と友に恵まれました。
 「何ごとも縁によって成る」の副題は縁の大切さを語っていることと理解しました。
 
 私事ですが先人記念館が開設されて間もない頃、ある知人と見学に行った折り、菅原館長さんとお話しする機会があり帰り際に短冊をいただきました。
 「みちのべに咲くやこのはな花にだにえにしなくして我が逢ふべしや 京助」とあり、これは金田一京助が菅原昭平さんに贈った直筆の短冊をコピーしたものです。

 先人記念館の建物は、郷古と尋常中学校の時の同級生で横浜高工教授の遠藤政直の長男正嘉(円堂設計)によるもので翼を広げた白鳥と雪国の三角のわら帽子のイメージで設計されているそうです。またこの建物はBCS賞というものをいただいているそうです。

  

 川端康成の墓の写真を手に

 菅原さんは縁により先人記念館初代館長になり、縁により郷土の先人の足跡を尋ね、縁により先人達の縁の不思議を語りついで下さっています。

たくさんの興味深いお話をありがとうございました。

 伊豆の踊り子は、岩谷堂に縁のある初代さんだったんですね。読書の秋です、川端文学を再読するのもわるくないですね。
 また先人記念館を再訪して盛岡の先人から学ぶのもいいですね。    
                     
         (写真・記:小泉正美)