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第七回文化サロン 「あなたの町で戦争があった」 2005年7月21日

ゲストスピーカー:加藤 昭雄氏
  


加藤 昭雄氏
プロフィール
1946年北海道に生まれる
1968年岩手県公立学校教員となり
県立高等学校の教壇に立つ
そのかたわら県内の戦争被害に関する
調査を独自に開始。
1990年岩手県高等学校教職員組合
書記長
現在岩手県立岩谷堂農林高等学校教諭
著書
「後藤野ー県北の特攻出撃基地ー」
1995年川嶋印刷
「花巻が燃えた日」
1999年熊谷印刷出版部
「あなたの町で戦争があった」
2003年熊谷印刷出版部
       

 
  岩手県内で空襲のあった地域の説明をする加藤氏

 加藤さんは戦争の悲惨さ無意味さを語り継ぐために下のような戦争遺跡の保存の必要性を感じ、行動されているそうです。

 戦後60年、戦争を語れる人も少なくなり、よりいっそう遺跡の重要さが増していると語られました。

 
 戦時中、学校にあった天皇陛下のご真影を戦火にさらされないように耐火構造の建物のなかに納め、その建物を奉安殿といったそうです。戦後、進駐軍の手によってほとんどが破壊されましたが、全国に100箇所くらいは残っていて、上の写真は加藤氏が県内で見つけた2つ。


   
騎兵第三旅団兵舎
現在森永乳業の事務所と
して使われている。
花巻防空監視哨跡 (県立体育会館裏)
  
 青山町にある騎兵第三旅団覆場(3棟ある)
 屋根付き馬の練習所(雪や雨を避けるため)
 
花巻防空監視哨とは、来襲してくる敵機の種類、距離、方角などをこの中に入り聞き耳を立て、聴いて判断するところだそうです。
 
皆さんの住む地域にも平和大使として後世に語り継ぐために保存されるべき大切な遺跡が埋もれているかもしれません。
いわてシニアネット会員の方の情報をお待ちしています。

                  語られた一部の紹介です。 
 加藤 昭雄さんは、名古屋生まれの北海道育ちで、岩手県の高等学校の教壇に立つかたわら、県内の戦争被害に関する調査を始め、多くの戦争体験者への聞き取りも重ね、様々な著書を出版されてきました。
 数学の担当であるという加藤氏が戦争被害の調査を始めたきっかけは、後藤野に最北の特攻出撃基地があったことを知り、詳しく調べたいと思うようになったからだそうです。
  
昭和20年3月10日の空襲で盛岡駅前の焼失した地域(塗りつぶされたところ)

B29一機による早朝の焼夷弾攻撃で死者4名、全焼147戸、半焼8戸、8月10日にはロケット弾などの攻撃があり死者4名。

   

 釜石市甲子川河口付近に捕虜収容所が設置され、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの捕虜が多い時で600名ほどいたそうです。
 この写真は収容所内でのクリスマス会。日本人との親密な交流もあったように見受けられます。
 昭和20年7月14日、8月9日の艦砲射撃により、釜石は約千名が死亡し、その中に32名の捕虜がいたそうです。
 戦後の極東軍事裁判で、収容所の安全対策が十分でなかったから捕虜が死亡したとして収容所関係者が断罪されたそうです。

 花巻・一関・山田・種市なども空襲で多くの人が犠牲になり、種市の小さな漁村八木では、旅館を営んでいた家族と従業員の全員19名が防空壕で一度に亡くなり、出兵していたご主人も戦死して戻らず、一家が全滅したという悲惨な事実も調査の中でわかってきたそうです。

  

農業試験場近くの松並木、その松すべての幹には下のような傷があるそうです。

  

戦時中物資が不足し、飛行機のガソリンを松脂から作るためにつけられた傷だそうです。

資料写真

加藤氏が当日、スクリーンに映したものをデジカメで撮ったものです。

           
           (写真・記:小泉正美)