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第55回文化サロン 平成21年11月13日

「共通語と岩手弁のはざまで」
ゲストスピーカー  前田 正二 氏
(IBCアナウンス学院 講師)

第55回文化サロンのポスター

講師の前田さん
プロフィール
 前田正二氏は昭和11(1936)年11月、東京生まれ。東京港区・赤羽小学校5年の時、担任教師の勧めで菊田一夫作『鐘の鳴る丘』の舞台、映画に出演。それがきっかけとなり、高校卒業まで8本の映画に出演。昭和35年3月、東京学芸大学卒業。2年間東京で女子高校の社会科教諭を勤めたあと昭和37年4月、IBC岩手放送にアナウンサーとして入社。昭和46年4月から55年3月まで、朝のテレビ生ワイド番組『おはよう・いわて』のメインキャスターを務める。平成2年4月アナウンス研修部長、平成8年11月IBC岩手放送を定年退職しました。その後平成21年9月まで、IBCアナウンス学院の副学院長として、「話し方教室」「アナウンス教室」「朗読教室」等を担当しました。
 主な著書に『上手な話し方・十五章』(平成15年、ねんりん舎)、「前田正二の日本語体験『言葉巡り』」(平成19年4月〜翌年3月岩手日報に連載)があります。この他、岩手大学教育学部非常勤講師「音声日本語」、教師と共に学ぶ音読・朗読研究会「どくどく会」代表を務める傍ら、盲人のための朗読奉仕団体・NPO法人「岩手音声訳の会」の会長(平成4年、全国ボランティアフェステバルで厚生大臣表彰を受賞)を勤めるなど、ボランティア活動でも活躍しています。
 今回の文化サロンは、長年IBC岩手放送のアナウンサーとして県民に親しまれた前田さんにご登場していただきました。前田さんは現在もIBCアナウンス学院の講師としてご活躍されおり、「ことば」をテーマにエピソードを交えてお話を伺いました。
 最初に、猪口邦子の著書「パールハーバーの授業」を朗読して、お話を進めました。


「パールハーバーの授業」を朗読
 東京・芝三田で小学校時代を過ごした。その当時はまだ浮浪児がいて、私は舞台でも映画でも浮浪児をやってきた。第2次世界大戦、日本は真珠湾攻撃で奇襲をかけた。アメリカは「日本は卑怯だ。真珠湾を忘れるな」と「リメンバー、パールハーバー」が日本をやっつける原動力となった。中学3年生の国語の教科書に猪口邦子著「パールハーバーの授業」が載った。平成5年から3年間だけで、その後は入れ替わった。それを朗読したい。
 (以下要旨)それは小学校最後の年のことだった。ブラジルのサンパウロにあるアメリカンスクールに通っていた私は、社会科は世界史で、そのことが憂鬱だった。最後のページの人力車ときのこ雲が載っているところを暗記して、パールハーバーという見出しのページをめくるたびに、悲しい、腹ただしい、つまらない、いらだちとも違う気分になるのだった。私はただ一人の日本の子として、その授業に臨まなければならなかった。教科書は日本がいかに悪魔的な世界征服の野心と狂気で、平和なアメリカを驚愕させたか、野蛮で遅れた国民が自由と正義を体現した偉大なアメリカに対してこっけいな挑戦をしかけたこと、その野望は原爆によってくじかれたことなどが物語のようにつづられている。まさに善と悪の対決であり、世界の救世主と悪魔の落とし子の対峙する構図だった。

 1年も終わりに近づき、第一次世界大戦の話も終わってしまった。仮病をつかって、学校を休もうとしたが、母の作ったパンがゆを食べて、学校へ出かける気になる。授業で先生は、日本は資源が乏しい、発展するため外国から資源を輸入しなければならない、資源が乏しくても貿易によって発展する権利があること、欧米はアジアが発展することは許せないと思っていたこと、アメリカが参戦の契機をつかもうとしていたことなど、教科書と全く違うことを説明した。たった一人の生徒のために、その授業をやってくれた。戦争にはたくさんの原因がある。国と国との間の事件には複雑な背景がある。それを単一原因論に短絡させてしまうのは歴史に対する暴力だという。かつてないほど私はパールハーバーを恥じていた。しかし、日本非難の矢面に立たないことで済んだことに、私の子どもの部分は救われたのだった。そのとき、子どもとは呼べないもう一人の自分を発見する。その自分は国際関係の複雑な絡み合いを解明していく仕事、平和の追求にかかわる仕事を夢見ていた。

熱弁の講師
1、「鐘の鳴る丘」に出演するきっかけ
 こういう授業をしてくれる先生がいると救われる。日本が戦争に敗れた昭和20年、私は小学3年生だった。赤羽小学校5年のとき、担任の服部栄先生が浮浪児の劇をやらせた。浮浪児のボス役が私で、遠足にやってきた生徒からチョコレートを盗んで、級長が「返せ」と談判にきて、組み敷かれて説教されるという内容。港区の代表で東京都の大会に出て、それをプロの劇団員が見て、引っ張られる。ラジオで菊田一夫作の「鐘の鳴る丘」をやっていて、舞台化することになったが、浮浪児役が足りないというのだ。今度は映画になるというので、映画にも出る。
 松竹の撮影所で、助監督が指導する。ある晩、「盗みなんかしなくても、暮らせるようにしようじゃないか」との問いに、5人が「どうするの?」と答えるが、私以外は良家の坊ちゃん、私のようにといわれても、なかなか出来ない。字づらでは同じでも、声になったときに違ってくると感じた。音声表現が好きになったきっかけでもある。
 中学で演劇部、高校で放送部、大学でまた演劇部で、そういうことをやっていると声がかかる。ひばりちゃんからのご指名で「向こう三軒両隣」の映画にも出た。大学の先輩に「あした映画に出るんで、稽古に出られない」と言うと、「お前が行かないと、その映画つくれないのか。お前がいないと、この芝居できないじゃないか。断ってこい」と言われ、しぶしぶ断りにいったら、「今まで目をかけてやったのに」と、それっきりになった。


熱心に聞く
2、以来、演劇中心にやってきた
 芝居はやっている人間にとって、少なくともうそはつけない。うそをつくと、必ず表情のどこかに出る。絶対隠せないという信念が構築されていった。あるとき、プロの演出研究所にいたという先輩の芝居の稽古を見た。青年が別のグループの少女と意気投合して握手する場面だ。その瞬間、「待て、お前らきのう何かあったのか」。あとで聞いてみると、男が彼女を好きになって、告白したという。それが見抜かれてしまう。稽古のときに、手の汗をぬぐってから手を出したから分かったというのだ。真実一路でないと、生きていけないと芝居は教えていると思った。

笑いを誘って
3、IBCにアナウンサーとして入社
 岩手の言葉で戸惑ったことはある。九戸村の小学校で、犬が生徒にかみついたということで、取材に行った。マイクを向けたら、「犬がカダッテきた」という。岩手の犬が語るのかと思った。下宿の孫娘が「おいしいですか」と聞いたとき、「とってもおいしいです」のつもりで、「なんぼかウメエ」と言ったら、ご機嫌ななめになった。先輩の2人は、いつもアクセント辞典を離さない。原稿がくると、それを開くので、「大変ですね」というと、「東京育ちのお前に、おれたちの苦労が分かるか」と言われた。8人のアナウンサーのうち6人が東京出身で、2人が山形、仙台出身だった。

4、小中学校でのアクセント授業
 小中学校で共通語のアクセントを教えてもらわないのだろうかとの疑問が生じた。学校に行くたびにアクセント辞典があるかどうか見るが、ない。それなら実験してみようと、教科書に出ている100の言葉を持って、雫石町の小学校の職員室を訪ね、先生に読んでもらった。20代の若い先生は、85%が共通語のアクセントだったが、ベテランの先生は半分が共通語のアクセントと関係ないという結果だった。若い先生にしても、自然に身についたもので、意識してアクセントを扱う場が、教育の場にはないのだなと思った。


アクセントの説明
5、日本語でいうアクセントとはどんなもの
 アクセントはきちっと説明されていない、誤解されている面がある。短大の学生から「ニュージーランドは、英語なら“ジー“にアクセントがくるのに、日本語はなぜ“ニュー”にアクセントがあるのか」と質問された。“ニュー”にアクセントはないのだが、強くなる。強いこと=アクセントだと思っているが、どこを高くするかがアクセントだと説明した。「強弱」を単語のアクセントにしているのは英語。欧米は強弱だ。「import」もアクセントの置き方の違いで名詞、動詞となる。日本語は「高低」で、アジアの場合は高低が多い。その中で岩手は起伏がある場合も一音しか高くならないで、平らか、平板な言い方となる。中国語の場合は複雑な高低となる。「マー」というのは「媽」「麻」「馬」「罵」があるが、それぞれアクセントが違い、これを使い分けないと中国語は通じない。「四声」という。

辞書について
6、アクセントを載せている国語辞典と岩手県人
 国語辞書の先駆に「言海」がある。一関出身の大槻文彦が編集、明治17年に完成、数年をかけて発刊した。その流れをくむのが「広辞苑」であるが、いずれもアクセントは載せていない。父が南部藩士の山田美妙は明治25年、わが国最初のアクセント付国語辞典「日本大辞書」を刊行した。その中で、「言海」を音調(アクセント)のない一大欠典であると決め付けている。盛岡出身の金田一京助は昭和27年、「辞海」の編集に当たり、山田の方法を採用したと述べている。アクセント付国語辞典は「大辞林」や「新明解国語辞典」に受け継がれている。


「雨ニモマケズ」の例でアクセントを説明
7、アクセントと言葉の意味、リズム
 岩泉町の小中学校分校で詩の授業があった。先生は児童の読み方が一本調子だという。
  • オウムのまえをとおるとき オウムのほうからこんにちは わたしはあわててこんにちは
  • オウムのまえをかえるとき わたしのほうからサヨウナラ オウムはすましてしらんかお
 このような詩なのだが、最初のオウムのアクセント次第で、全体の読み方が変わってくる。
 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節がある。
  • ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
 このカンジョウ(勘定)もアクセント次第では「感情」になってしまう。

8、地域語の持つメロディー性
 共通語は味も素っ気もなく、メロディーがない。以前、IBCラジオで3人の担当で昔話を放送した。地元のものを取材したいということで、九戸村の長興寺でおばあさんから「狐の嫁取り」を聞いた。なまりがあって意味はよく分からなかったが、唄になっていた。湯田町の言葉にもメロディーがある。劇団ぶどう座の川村光夫さんの「うたよみざる」もそうだ。土地の言葉は豊かなメロディーを持っている。大事にしていくべき値打ちがある。


お礼の拍手
 日常生活のコミュニケーションを良くするうえで「ことば」の大切さを、特にあまり意識していないアクセントが大事なことを学びました。
 文化サロンは、本年度予定した4回の開催を盛会裏に終了することができました。ゲストスピーカーの方々、参加者の皆さんに厚くお礼を申し上げます。
(文:佐藤安彦、写真:庄司隆)