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文化サロン50回開催記念講演会

「平泉 自然美の浄土」
講師  大矢邦宣氏  (盛岡大学教授、平泉郷土館長)
平成21年3月11日 岩手労働福祉会館
盛況な会場 演題
文化サロン50回開催記念講演会のポスター プロフィール
 大矢邦宣氏は1944(昭和19)年一戸町生まれ。東京大学文学部東洋史学科卒業後に10年間民間会社(現マツダ)勤務。1978年岩手県教育委員会博物館建設事務所に転じ、1980年岩手県立博物館開館とともに同館学芸員になりました。
 2003年岩手県立博物館を退職。現在は盛岡大学教授、平泉郷土館長のほか、「平泉の文化遺産」世界遺産登録推薦書作成委員会委員を務めています。主な著書としては、『平泉 自然美の浄土』(里文出版)、『奥州藤原氏五代』(河出書房新社)などがあります。
講師の大矢邦宣氏
資料に目を通して
資料に目を通して
熱心に聞く参加者の皆さん
熱心に聞く参加者の皆さん
この形がぼんやり見えたらお迎えですよ
この形がぼんやり見えたらお迎えですよ
 今回の文化サロンは、前回で50回に達した記念の講演会を開催しました。講師に大矢邦宣氏をお招きして、世界遺産として期待される平泉の魅力について講演していただいた。
 大矢さんは、平泉の世界遺産登録に関して重要な役割を担っておられ、また、各地で講演されるなど大変活躍されており、先日の東京での講演会には200人の定員に450人の参加希望があり平泉への関心が高いことを紹介した。
 また、近く文部科学省で世界遺産登録に関する委員会が開催され、4月初めには登録申請の内容が固まるだろうと、話された。
 登録のキーワードは「浄土」。前回の申請は「平泉 浄土思想を基調とする文化的景観」としたが、今回は「浄土世界」とする考えである。「浄土思想」は外国人には分からないので登録にならなかった、との意見が多かった。
 「浄土」には簡単に行ける、お金は要らない。その時期が来てお迎えがあれば「南無阿弥陀仏」を唱えて素直に浄土に行くこと。簡単に行けるが帰ってはこれない片道切符。お坊さんの話によると、帰ろうという気がしない良いところだと阿弥陀様、仏様が教えている、と紹介して本題に入り画像を使って講演を進めた。

1.道の奥・道奥国・陸奥国・・・なぜ「みちのく」と読むのか
  •  大化の改新の際、全国を七つの地方に分け、東は東海、今の長野、群馬、栃木などは東山道、さらの北の奥は、「東山道の奥の国」なので「みちのく」となった。また、道奥国→陸奥国に(「道」=「陸」(みちと読む)=「六」(むつ)から「むつのくに」になった。この「みちのく」は、広大な国、北方へつながる国で日本の半国を占める。
     この国の三大産物は砂金・駿馬・鷹羽、加えて北海の産物(アザラシの皮)が、都からみれば垂涎の資源である。しかし、そこに住むのはエミシ・蝦夷 エゾで言葉が通じず、恐れ、憧れがある一方、蔑視・差別→搾取→争い・戦乱の構図があった。
北方の王者へ
北方の王者へ
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中尊寺供養願文
中尊寺供養願文
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金色堂
金色堂
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2.平泉の時代
  • 12世紀・平安時代最後の100年
    中国の宋(1127年→南宋)・金(←遼1126年亡)、高麗、アンコールワット(1125年頃)の時代。サン・ドニ修道院(1144年)はゴシック建築の始まり。
  • アンコールワットは金色堂と同じ時代。インドの宗教が南のルートで東へ東へと伝わり東の端がアンコールワットで、同じ時代に北のルートでシルクロードを経て東に伝わったのが奈良・京都、そして東の端が平泉である。
  • 貴族の政治・院政(王朝国家)から「武士の世」へ変わる時代で、平泉時代の50〜100年前は「貴族文化の爛熟期」。日本で一番お寺を造った時代。
  • 寺院建立ブーム(六勝寺、千本観音像〈三十三間堂〉など)で仏像に使う金箔用の金の需要増と中国貿易の要因で、みちのく(平泉)が脚光を浴びることになる。ここを抑えていた安倍氏、藤原氏が力を持った。
  • 金、馬など豊富な資源の利権を狙う都の勢力との戦乱が起こる(前九年合戦:1052−62年安倍氏滅亡、後三年合戦:1083−87年清原氏滅亡)。

3.藤原清衡の悲願はみちのくの平和・浄土実現にあった。
  • エミシの酋長の宣言〔「東夷の遠酋・俘囚の上頭」(中尊寺建立供養願文)〕し安倍・清原を継承し、北方管轄権をもち陸奥出羽押領使(警察長官)となり、都から守り「みちのくを平和に」が悲願であった。
  • 清衡の生い立ちは不幸であった。父は経清(つねきよ:陸奥国役人・都の藤原一門の流れ)、母は「陸奥六郡の主」安倍氏の娘(母は出羽清原氏の出身か?)。
    前九年合戦で父経清惨刑死し、清衡7歳・母と清原(敵方)方へ、後三年合戦で妻子が犠牲となる。清衡はこの二つの戦を唯一生き抜いた。
  • みちのくには前述のように、道の奥にあり蔑視され豊富な資源の利権に伴う争いの構図という宿命があった。

4.北方の王者へ みちのくの中央「平泉」へ
  •  清衡は1000年ころ、豊田館(奥州市江刺区)から平泉に移転。関山中尊寺は誰にもわかるしかけで造られた。
  • みちのく央の(北緯39度も位置する)
    みちのく南端の白川関から北端の外の浜(青森市)まで縦貫道を整備し、1町(109m)ごとに卒塔婆を立て並べ、その中央に当たる丘の上に塔を立て、中尊寺を建立した。
  • その山号は「関山」、この地に衣川関(衣関)が置かれ、南と北(奥)の境界の場所はエミシの本拠地。エミシの酋長を宣言して都への義務(税金など)を果たし、都の干渉を排除し「北方の王者」となる。
光の荘厳
光の荘厳
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わが清衡は光に
わが清衡は光に
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清衡はなぜ・・・金鶏山に
清衡はなぜ・・・金鶏山に
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5.「文化による平和」を目指した平泉文化
  • 「法華経」の根本理念は絶対平等の教え。仏法の下では全てが平等(山川草木悉有仏性)で「みんなが違うからみんながいい」。
    「中尊寺建立供養願文」は差別なき供養文で「官軍・夷虜の別なく、毛羽鱗介までも…」とあり、都との平等関係・偏見の払拭を謳っている。
  • 平泉文化の特色は「文化の力」による偏見・蔑視を払拭して平和の実現を目指したことにある。偏見がある限り争いは絶えない。
  • 平泉文化はすべて都の文化(先進の「宋」文化も導入)であるが、まねごとでなく都によりながら都にないものであり、一歩先の独創性、先進性、自由性があり超一流である(漆工芸、金工芸、絵画、建築、金色堂、金銀字経、毛越寺庭園など)。

6.金色堂は、なぜ金色か? 何のために建てたのか?
  • 金色堂は阿弥陀極楽浄土。自分の死後の「安楽」のために建立したのか?
  • 金色堂は徹底した「光」の聖堂で「皆金色(かいこんじき)」、輝光の荘厳。
    本尊は阿弥陀=アミターバ=無量光如来(無量光とは量り知れない光を出す)を中心に11対の仏像を配す。金棺に藤原三代の遺体を安置している。
  • 「光」は悪魔を遠ざけ、光の呪術で遺体を守る。無量の光を発する本尊阿弥陀如来と「皆金色」の内陣の光で遺体を護っている「光輝く聖堂」なのである。
  • なぜ遺体を保存しようとしたのか? その秘密は金鶏山にある
    金鶏山は平泉の中央に位置し「須弥山」(しゅみせん:仏教の世界観を表す)。
    一夜で富士山を模し、金の鶏一対を埋め平泉の鎮護にしたとの伝承がある。
    1930年、発掘すると金の鶏の代わりに出てきたものは、お経を入れた壷(渥壷・銅径筒)で経塚だった。お経のタイムカプセルで弥勒信仰をものがたる。
  • 二代目釈迦として期待された弟子の弥勒が早世したが、釈迦は「次の如来は弥勒」「56億7千万年後 弥勒が降臨し、衆生を仏にする」と予言した。
  • 清衡は金色堂に遺体を保存させ光に護られて、56億7千万年後「弥勒下生」のとき、金鶏山に復活してその説法を聞き、みちのくを護るという想いであった。
  • 清衡の想いは、「この世」にあり「みちのくを浄土にしたい」と願った。
文化による平和を
文化による平和を
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金色堂はなぜ金色か
金色堂はなぜ金色か
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スライドで「まとめ」の説明
スライドで「まとめ」の説明
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7.平泉の「浄土」は「あの世」ではなく「この世」・「自然美」の世界
  • 浄土とは理想郷:浄土・楽園・天国・桃源郷・竜宮・蓬莱・シャングリラ…
    「阿弥陀経」極楽:心身の苦しみがなく、幸福のみあるところ
  • 極楽だけが「浄土」ではない! 無数の「浄土」がある。もともと「仏の国土」、諸仏それぞれの国土に百千万億の仏。
  • 浄土とはどんなところか、どんな景観か?
  • インドの浄土の池は「四角い池(方形)」・四方に宝石の階段、宝石の並木、『阿弥陀経』、人工美の浄土
  • 日本の浄土の池→自然景観の曲池(好ましい自然景観)自然美の浄土。
    日本人は現世主義・自然愛好 「草木国土 悉有仏性」・自然神崇拝
    神殿造+浄土寺院→臨池伽藍・浄土庭園⇒日本で完成し日本にしかない
  • 「この世の浄土」のシンボル・毛越寺
  • 唯一完存する平安浄土庭園で平安時代に書かれた最古の指導書「作庭記」に適っている。
  • 和風浄土の典型 心地よい自然を取り込んだ曲池庭園・立石・州浜・荒磯・塔山
  • 臨池伽藍  池に向かう翼廟を持つコの字形伽藍
  • 本尊は薬師如来 現世の救済者、災い・苦悩から救う

8.まとめ
 平泉は「この世の浄土」「自然美の浄土」
  • 「浄土世界」:「浄土曼茶羅」:「浄土世界」として築かれた「北の都」
  • 「平泉」の価値の認識とその普及
  • 文化による平和 差別の払拭 →平等のまなざし・違いを認め尊重
  • 自然美の「浄土」 →自然との共生 調和と畏敬
  • 現世を「浄土」に→働きかけは、この世・この世界「浄レ土」
  藤原三代は「文化の力」による「この世の浄土」創りを実践

講演を終えて
講演を終えて
 「文化の力」で偏見・蔑視を払拭して平和実現をめざしたのが平泉文化の特色である、と話された講師の言葉が印象的でした。そして「平泉」の歴史文化の価値を理解する機会となりました。「世界遺産」として登録され後の世に引き継がれるよう願うものです。
 文化サロンは、この記念講演会をもって、諸般の事情から当面休止することになりました。これまでのご支援・ご協力をいただいた多くの方々に、あらためて感謝とお礼を申し上げます。
(文:佐藤安彦  写真:庄司隆)