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第44回文化サロン 平成20年8月21日

「中国古典の英知」
ゲストスピーカー 吉見 正信 氏 (文芸評論家)
第44回文化サロンのポスター プロフィール
 吉見正信氏は1928年東京都杉並区生まれ。大東文化大学中国文学科を卒業後、東京での雑誌記者を経て、岩手県内で高校教師を勤めました。その間、岩手大学・富士大学の非常勤講師をしながら研究著作に専念。現在に至っています。
 宮沢賢治学会イーハトーブセンター発起人、宮沢賢治賞・イーハトーブ賞選考委員長を歴任。主な著書としては、『宮沢賢治の道程』(八重岳書房)、『宮沢賢治の言葉』(剄文社)などがあります。
ゲストスピーカーの吉見正信氏
吉見さんと会場の様子  吉見さんは、中国の話をすることはあまりないそうです。日本の漢詩、漢文はあまりにも細かく、こしらえすぎている。名作は名作だが、すばらしい、こういうものはというのが伏せられている。私は学者ではないが、漢文が好きで片っ端から読んだ。そこで、戦前戦後の学校教育の中で、どうして、こういうものを教えてくれなかったのかという疑問がたくさんある。漢文、漢詩は日本人の精神的鎧(よろい)にすぎない。精神的フアッションにすぎない。戦前の旧思想、儒教、孔子の教えの流れが出来上がってしまっている。

 月1回、高齢者向けに発行していた「シニアタイムス」に、「中国故言の叡知」というタイトルで、この3月まで79回連載した。漢詩といえば、「鞭声粛々夜河を過る」などの勇ましいものと思いがちだが、大槻磐渓はナポレオンのことも書いているし、大仏次郎の「天皇の世紀」には、ペリーが浦賀に来る1週間前に、もしかしたら、それよりも大事件と思われるものが東北の一隅から起こったと書いている。それは森嘉兵衛が明らかにした三閉伊一揆の歴史で、そこまで近代の夜明けがきていると解明した。景色を賞美するだけではない漢詩があることさえ、あまり知らされていない。

 論より証拠で、「中国故言の叡知」の第1回掲載の「是レ道徳ノ次ナリー」を紹介する。(以下は要約)
『楚の国の令尹(首相)孫叔敖(しゅくほう)が幼い時の話で「双頭の蛇を見た者は死ぬ」と聞き知っていて、それを見たので他の人が見るといけないから蛇を殺して埋め、「僕は死ぬの?」と母にすがったとき、母は「天は善い行い、悪い行いをちゃんと見えているからお前を死なせない」と言い、叔敖は死なずに勇気ある政治家になった。』
 「次」とは何か。私の知っている人に「次男」がいる。岩手では「冷や飯おんず」と言われるが、そうではない。「次」は在り方で、「式次第」は式の在り方だ。こんな立派な話だが、私たちは何を教えられてきたのか。思想家・孟子の母、「孟母三遷の教え」は、日本人みんなが知っている話である。三遷とは3回、引っ越したということ。お墓のそばに住んでいたときは、葬式ごっこばっかりしていて、これではだめだ。町の中に引っ越せば、お店屋さんごっこをして、銭勘定のやり取りをして喜んでいる。そこで、学校のそばに住んだら、勉強するようになった。これが母としての鑑だ。

 そうかと思うと、「孟母断機の教え」がある。孟子は学問のため、都へ行っていたが、母を心配して、様子を見に帰ってきた。孟子の母は織っていた織布を断ち切って、学業をほったらかしにするのは、このようなものだと追い返した。こういうものが母親、子どもの教育の鑑だと、漢文教育はやってきている。こういうのは教育のストーカーだと思う。孫叔敖の母の話は、宮澤賢治で言えば、「銀河鉄道の夜」のジョバンニみたいなものだ。カムパネルラとともに「本当の幸せを求めて、一生懸命やらないといけないね」と誓い合う。他人のために尽くすということ。孫叔敖も他の人が見たら、大変だ。だから、自分は死んでもいいから、蛇を殺して埋めてきた。母親は、こうした子どもの心をきちんと読んで、言葉をかけている。昔の教育には、こういうことがあることは都合が悪いことだった。
吉見さんと会場の様子  儒教には「四書五経」の経書があり、四書は「大学」「中庸」「論語」「孟子」。五経は「詩経」「易経」「書経」「礼記」「春秋」。「大学」は誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下を主張、縦の秩序を重んじていた。世の中の人倫、人道については、「礼」から始まる。孟子は「仁」を重んじた。その礼とは何か。taboo,禁忌、マナーで、大自然や偉大なものへの恐れ、そういったものへの許しを経て、大自然や神に接近する手続きとして、礼として、神を奉り、お祭りをする。タブーマナーとして、自然発生的に一つの行いをもってやってきた。その大自然、神に取って代わって、人間が人間に対しての恐れ、威力を示すようになってくる。これは社会発展史上、やむを得ないことだ。その中で、階級差別、搾取などの社会、経済システム、封建思想体系が形作られることになる。

 五経も「礼」に基づいた徳目主義をとり、上意下達、民を抑圧する圧政がほとんどだった。それに批判、反発した思想、書籍はたくさんあるが、全く無視された。例えば、「中国故言の叡知」にある「天ノ蒼蒼タル」を読んでみたい。
『あってはならないスペースシャトル「コロンビア」の事故は、科学絶対を過信した事故ということが否めない。その意味で「機心ヲ羞ズ」に、傷ましくも思いが至る。・・・以下略』
 この「機心ヲ羞ズ」について。孔子の弟子の子貢が旅して、畑で汗流して水を運んでいる老農民を見かけ、声をかける。「今は、はねつるべという機械があって、井戸を掘れば、楽々水を汲める」と言うと、老農民は「そんなことは知っている。そんな機械に頼ると、人間の心を失って、機心になる。人間の心をおろそかにするのが恥ずかしいから、そんなものは使わないのだ」と答えた。つまり、メカニズム、現代も機械に頼りすぎて、過信があるのではないか。だから、機械を否定するのではなく、「機心ヲ羞ズ」という心への思いがあって、子貢も絶句するしかなかった。

 だが、「論語」の中には、そういうことは一切出てこない。いい戒めもかなりあるが、封建体制、秩序に都合のいいようなものを重んじている。それに対して、老荘思想は、儒家系統の思想・学問に対して、道家系統、後に邪教の性格を持つ道教に通じる思想、老子や莊子の思想だ。
吉見さんと会場の様子  老子は人為的なものは全部否定している。「無為自然」だ。無為は何もしないということではない。人為を加えない。人の手を加えてねじ曲げない。うそをつかない。だまさない。大自然は形がないので、入れ物もない。それが無だ。地位や名誉も否定する。水、光は形があるのか。形がないから、どこにでも入っていける。人為を加えると、ろくなことはない。それは21世紀が実証している。今の世の中は人為、偽、偽装問題が大流行している。老子が言っている通りの世の中だ。老子は「其ノ紛ヲ解キ、其ノ鋭ヲ挫ク」と言う。なんか難しそうに言っていると、偉そうに聞こえる。物事をひねくり回し、もっともらしく、難しく言った方が、ありがたがるのが日本人の習慣で、困ったものだ。そうした紛らわしい、もったいぶった、ふんぞり返っている風を解き明かし、偉そうに思っている、その鼻っ柱をくじく。それではどうすればいいのか。「和光同塵」と言っている。

 今、「平和」などという言葉は、平成になって、福田首相をはじめ口にしない。だが、そうしたことは、とっくの昔に言われている。「戦イハ逆徳ナリ」を読んでみたい。
『出展は「史記」、その本文は「戦イハ逆徳ナリ、争イハ事ノ末ナリ」とある短文である。「末」とは人間世界にあってあってはならない結果というほどの意。
中国の古典の「史書」として、第一等の権威である「史記」は、治乱興亡の中に、人間いかに生きるかを追求する書。したがって、古代から「戦イ」がいかに悲惨で愚であるかを、諸子百家(多くの思想家)を集約した立場で断言している。・・・中略・・・
二十一世紀は、世界を挙げて《逆徳》を廃棄させなければならない世紀なのである。』
 老子は戦争を全否定して、たくさん書いている。第一は「佳兵ハ不祥ナリ」。立派な兵力、武器、軍隊は不吉なもの、めでたいことではない。よろしくない。戦をすると、農作物が荒らされて、民が塗炭の苦しみを味わう。自分もやられる。だから、いい兵器が出ると、どんどん悲惨さが増す。古代中国では「指南車」という新兵器があったが、それがどんどん悪らつになってきて、とどのつまりは核兵器になってきている。これは紀元前の老子が言っている原理の通りになっている。老子にも、たくさんの戦争論があるが、世間では「孫子の兵法」だけを言うが、孫子は戦争を否定しない。するなら、こういう技術があるという兵法だ。

 老荘思想は目だって、ひけらかしたあり方を批判し、避ける。そのため、三国、西晋時代には身なりをかまわないが、超俗精神を持つ隠士が輩出した。老子は「無、空、愚、拙、朴、遅」を主張し、弱者、落ちこぼれ、障害者などいう差別を否定している。グローバルな思想、宇宙感覚だ。自分のことを「木偶(でくのぼう)」と言っている。「賢を尚ばざれば、民をして争はざらしむ。…無為を為せば則ち治らざる無し」(老子)ともあるが、宮澤賢治作品の出どこが知られる。賢治も、老子の伝記を書こうとして、年表を作っていた。

 雨天の中、参加していただいた方々に吉見さんに「中国の古典の英知」を熱く語っていただきました。その一部をできるだけご本人の言葉で紹介して報告とさせていただきます。(文・写真 佐藤安彦)