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第43回文化サロン 平成20年7月17日

「城下町盛岡と水」
ゲストスピーカー  金野 万里 氏
(文化地層研究会事務局、NPO法人いわて景観まちづくりセンター理事)
第43回文化サロンのポスター プロフィール
 金野万里氏は盛岡生まれのライター・編集者。2000年、歴史を生かした町づくりを考える市民団体「文化地層研究会」を立ち上げて以来、各種地図の発行、歴史的建造物の保存運動などを行ってきました。2006年からは盛岡商工会議所主催「盛岡もの識り検定試験」に関わり、直前講座テキスト作成・「もりけん本」編集を担当。2007年には「NPO法人いわて景観まちづくりセンター」の立ち上げに参加、県内各地の景観点検等に携わってきました。
ゲストスピーカーの金野万里氏
文化地層研究会が発行した小冊子「盛岡水のガイドブック 盛岡水物語」
(文化地層研究会が発行した小冊子)
 今回の文化サロンは、金野万里さんをお招きして、城下町盛岡にまつわる「水」に関するエピソードをお話していただきました。

 最初に、金野さんが事務局を担当している文化地層研究会が発行した小冊子「盛岡水のガイドブック 盛岡水物語」を紹介しました。この小冊子は、盛岡は県庁所在地としては、川と橋が多くダムは五つもあり、清水も数多く存在し良い水が豊富で、大変恵まれており、これらの資源を守っていきたいとの趣旨で発行したそうです。これは資料というより読み物として編集したとのことで、内容は、盛岡水の恵みマップ、中津川など川の物語、清水の紹介や酒造り、豆腐にまつわる伝説、そしてデータベースも載っております。

 文化地層研究会は、「文化は単層ではなく地層のように積み重なっている」の考え方をベースに、埋もれた歴史や文化を深く掘り起こし、これを活かしてまちづくりを考える市民団体で、40人ほどの会員で活動しているそうです。「まち」の歴史は、求職の際の履歴書のようなもので、採用する側がこれでその人の将来の可能性を判断するように、町の歴史にもまちづくりのヒントがある。また歴史には流れがあり、これらを文化の地層で見ようと街を歩き、人々の話を聞いてこれらの情報を印刷物やインターネットで発信し、生活の楽しみ、潤い、そしてまちの未来に明るさを求めて活動しているそうです。

 今回の説明資料として配布していただいた「盛岡水の記憶108」(水をキーワードにした地図と108の水にまつわるデータ及び「盛岡とうふ伝説」など記載)も文化地層研究会が制作したものです。併せて映像も使って分かりやすい説明をしていただきました。
スライドで説明する金野さん
(スライドで説明する金野さん)
盛岡城下の地図の資料
(盛岡城下の地図の資料)
盛岡城下図
(盛岡城下図)
上田堤の造営
(上田堤の造営)
北上川の流路変更
(北上川の流路変更)
新山船橋
(新山船橋)
■城下町盛岡の成り立ち
 南部信直によって三戸から盛岡へ拠点を移すことになり、慶長2年(1597)頃に盛岡城が起工された。城下町は武士、商工者、農民で構成される。最初に城を造る場所を選ぶことになるが、その大きな要素に地形がある。盛岡城は川の流れが大きなキーワードであったと考える。江戸時代中期の盛岡城下図(絵図)によると盛岡城は北上川と中津川に挟まれた場所に造られた。

 盛岡城の築城は、浅野長政の勧めであったが、加賀の前田利家を通して秀吉の許可を取って着工した。しかし、完成した年ははっきりしない。普請奉行の名前を刻んだ石垣によると1686年と1705年とあり、この年まで築城が続いていたことを示している。いずれにしろ10年くらいでは完成した城ではない。城下町をつくりながら築城を続けたのである。

■水との戦い
 城を造り城下町をつくる上で悩まされたのは水で、そのため三つの対策を講じている。最初は「鹿妻穴堰の開削」である。1599年(慶長4年)に水田耕作地域開発を計って鉱山技師鎌津田甚六(秋田出身)の設計により、雫石川の流れをせり出した岩山に隧道を掘削して導入して農業用水を供給した。
 次は、「上田提の造営」である。三戸から盛岡への道を造るには沢水が出る上田の治水が必要であった。四つの堤を造り、その一つが中堤の高松である。この造営で中心地区への堰き止めとなり三戸町が成立した。

 三番目は、「北上川の流路変更」である。築城のころの北上川は、今の旭橋と開運橋の間あたりから東に曲がり大通り、公園下を通り下の橋の下流で中津川と合流する湾曲状であった。これを1672年(寛文12年)から3年で現在の直線状に流路を変更した。今の大通り、映画館通り、菜園の一部が流路を変更して埋め立てた場所である。この川は、暴れ川でカーブがきつく、城の石垣を崩さないように突貫工事で流路を変えたと思われる。
 このように水との戦いに勝って城が造られ城下町が発展した。

■北上川
 明治橋の100メートルほど下流に「新山舟橋」があった。舟を並べ鉄鎖でつないだ上に板を渡し人馬が往来する仕掛で洪水対策の橋である。北上川の舟運の起点で奥州街道の南の玄関口としての要所で、文化の出入り口でもあり、河南地区が発展した要因でもある。鉈屋町あたりにあった水主町(かこちょう)に船橋をかけはずしをする御水主衆(おかこしゅう)が住んでいた。

 盛岡は山に挟まれた内陸で海から遠く海運の利用には不便で、また、陸路で大量の物資を運ぶのは大変で、年貢米や穀物を江戸などへ運ぶ際には北上川の舟運を利用した。舟運は黒沢尻を中継点として石巻まで運行した。川の下りは黒沢尻まで半日、6日で石巻に着いた。上りは石巻―黒沢尻間が10日、黒沢尻―盛岡間が4日を要した。上りは舟に綱をつけて両岸から人手で引いて上ったという。舟は黒沢尻までは水量が少ないため小型の「おぐり舟」を、その先は「ひらた舟」が使われた。石巻からは千石船で輸送した。年貢米6万表を運んだ記録があるが、3千6百トンになる。参考まで盛岡藩の石高は20万石で3万トンになる。現在、岩手県の米の生産高は31万7千300トンで200万石に相当する。

熱心に話を聞く参加者
(熱心に話を聞く参加者)
■中津川
 環境を守るためには、地球規模と同時に身近な地域の歴史や地理で環境の変化を知り、感じることが近道と考えている。このようなことを伝えて行こうと私たちは環境NGOに登録して活動している。
 清流「中津川」は、市内の中心部を流れ、多彩な市民活動によって環境が守られ、親しまれている「水の街盛岡」のシンボルである。この川を象徴しているのが擬宝珠(ぎぼし)である。現在上の橋と下の橋に慶長14年(1609年)銘のものが8個、慶長16年銘のものが10個残っている。上の橋は慶長14年に架けられたが、慶長16年は中の橋が架けられた年で、16年銘の擬宝珠は中の橋に取り付けられたと考えられている。
清水の分布図
(清水の分布図)
御田屋清水の設計図
(御田屋清水の設計図)
■盛岡の清水 三清水と十大清水
 今年6月環境省の「平成の名水百選」に岩手県から青龍水、中津川綱取ダム下流、須川岳秘水ぶなの恵み(一関市)の三箇所が選定されたのは大変うれしく、全国的にも誇れることであった。

・三清水は、御田屋清水(大通一丁目)、大慈清水(鉈屋町)、青龍水(大慈寺町)。
・十大清水は、上記の三清水と黄金清水(黒石野)、箱清水(箱清水一丁目)、洞清水(三割五丁目)、岩清水(岩清水)、コケ清水(加賀野桜山)、毘沙門清水(盛岡城址公園内)、大清水(清水町)。

 「黄金清水」は明治天皇が巡行の折り、これからの山道に備え装束を着替えたと伝えられる場所。名前の由来は分からない。「箱清水」は明治9年の明治天皇巡行の折に献じられた名水として有名だが現在は味わうことが出来ない。
 「コケ清水」は妙泉寺山の山中に湧く清水だが私有地のため現在は立ち入り禁止となっている。「毘沙門清水」は、盛岡城内に九つあったという清水の一つだったが、現在は花崗岩の石組みが残るだけで涸れ井戸になっている(城内にあった九つのうち三つの場所は確認できない)。
 十大清水のうち飲める清水が少なくなってきているが、三清水は地元の人たちに守られ、利用されている。中でも名水百選に選ばれた「青龍水」は大変おいしい。プラザおでってにある「おもてなしプラザ」でお客さまへのお茶用に利用しているが、大慈清水で代用すると「違いますね」と言われるとのこと。

 十大清水のほかに、「たたら清水」(川目)、「伊勢清水」(下米内伊勢ノ沢)、賢治が使用したという「賢治清水」(大沢川原一丁目)などがある。清水ではないが盛岡の古い名所であった「白滝」(国道106号線から岩山方向へ登って行く)は、親水公園となっており気軽に行けるところである。

質問に回答する金野さん
(質問に回答する金野さん)
■近代盛岡と水
・水道事業
 米内浄水場は盛岡の水道事業発祥の地で、おいしい水の要と言える施設である。盛岡は県庁所在地としては上水施設の整備が遅れていたが、昭和9年に盛岡最初の浄水場として完成。緩速ろ過方式は国内では貴重なもの。施設内に水道記念館があり、当時苦労した建設工事の状況が展示されている。おいしい水道水を供給している水源涵養保安林の存在を忘れてはならない。

・水力発電事業
 宇津野発電所は市内の川目にあり、明治37年(1904)に造られ、盛岡市内の77戸に電灯を灯した発電所で昭和40年代まで操業。岩手県内に現存する最古の発電所として、市の有形文化財として保存されている。

講師に感謝の拍手
 今回は水の都盛岡を再認識し改めて身近な水について考える機会となりました。ありがとうございました。
 なお、「盛岡水の恵みガイドブック 盛岡水物語」(300円)、「盛岡水の記憶108」(100円)は、プラザおでって(盛岡市中ノ橋通)の1階にある「おもてなしプラザ」でお求めになれます。         (文:佐藤安彦、 写真:庄司隆)