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               第33回文化サロン      平成19年9月20日

   「岩手の宰相よもやま話」
  ゲストスピーカー    松田 十刻氏 (作家)
プロフィール
 松田十刻氏は1955年に盛岡市に生まれる。
 立教大学文学部卒業後、新聞記者などを経て、現在作家に。
 著書としては『チャップリン謀殺計画』(原書房)、『ダッハウへの道』(NHK出版)、『ダビデの星』(徳間書房)、『沖田総司』(PHP文庫)、『海軍━軍人の生涯━最後の海軍大臣米内光政』(光人社NF文庫)、など。また、藤原隆男氏との共著として『啄木と賢治の酒』(熊谷印刷)がある。
 本名の高橋文彦著として『颯爽と清廉に 原敬』(原書房)、『岩手の宰相秘話=x(岩手日報社)などでノンフィクションの分野でも活躍されている。 
 松田十刻さんの本名は、高橋文彦さんだそうです。高橋文彦さんの名は20数年ほど前に或る知人から譲り受けた「地方公論」という雑誌の編集者の名として記憶していました。
 県外人の私としましてはこの雑誌で岩手のオピニオンリーダーの名や賢治や啄木の研究者の名を知りました。「地方公論」という「中央公論」を意識したような凄い名の雑誌の編集者高橋文彦さんがどのよう方なのか長い間気になっていましたがやっとお会いすることができました。
 松田十刻というぺネームは、岩手の有名な作家中津文彦さん、高橋克彦さんに似ていて間違いやすいと言われて、ミステリー作家の島田荘司さんに付けていただいたそうです。
 松田さんは岩手の宰相についてたくさんの本を出されていますが、政治家について特に関心があったわけではなかったそうです。
 産経新聞の盛岡支局長が「岩手の宰相物語」というものを連載したいということで前沢町の三好京三さんを訪ねたところ「北の文学」で作品を発表している高橋何がしという若い人にチャンスを与えたいと言われ、35歳の時に急に連載の話が舞い降りてきたそうです。最初は分野が違うので断ろうと思ったそうですが、一番不得意の分野に挑戦するのもいいかも知れないと原敬日記全巻を読んで引き受け、最初に原敬を連載しその後、斎藤実、米内光政、東条英機と5年間も連載されたそうです。
 本日の文化サロンでは「岩手の宰相よもやまばなし」ということであまり知られていないエピソードなどを語って下さいました。12ほど紹介してくださった中でいくつかをサロンに来られなかった方のために掲載することにいたします。もっと知りたい方は是非、松田十刻さんの著作をお読みください。どのような作品があるかはこちら公式のホームページをごらください。
・安倍晋三さんは、安倍一族の末裔なの? 

 安倍貞任の弟宗任は前九年の役で破れ、四国伊予国に流された。その子孫のなかで松浦と名乗っていたものが山口県に流罪され後、安倍を名乗りその子孫が安倍晋三さんだと言われている。父親の晋太郎ご本人が末裔だと名乗っていたそうです。
・岩手人の宰相は何人?
 原敬、斎藤実、米内光政、鈴木善幸の4人。東条英機は東京生まれといわれているが、首相になった当時は、父親が東条英教で南部藩士ということもあり岩手県出身と言われていた。そうなると5人とも言える。最も首相が多いのは山口県で8人、鹿児島3人、東京が4人。東北北海道では岩手県しか首相が出ていない。
 原敬内閣当時、東京府知事は阿部浩、東京市長は後藤新平で日本の中枢を岩手県人
が握っていたといえる。 
 その頃、なぜ政治家や軍人に岩手県出身者が多いかを知るヒントが松田さんの著作にありそうです。
・岩手の宰相は語学が得意
 原敬は、フランス語が得意
 原は順風満帆のように見えて若い時苦労している。上京し南部家の設立した「共慣義塾」に入学したが学費が払えなくなり辞め、費用がかからず食事も出してもらえたカトリック神学校に入り洗礼を受けている。洗礼名ダビデ。そこのフランス人の神父からフランス語を習ったのだ。その後は司法省法学校に入学したが寄宿舎待遇改善行動で退校処分となる。それから知人の紹介で郵便報知新聞社に入り、フランス語の新聞を翻訳していた。また外務省に入った時もフランス語の翻訳をしている。フランスと中国(清国)が争っている時フランス語ができ漢文の素養がある原敬は天津領事に抜擢された。その後パリ公使館にも務めた。原敬はまさにフランス語で出世街道を切り開いたと言える。
 斎藤実は英語が得意
 すべての授業が英語だった海軍兵学校を出ているので英語が得意。ワシントンの公使館武官になりその後英語力をかわれ西郷従
道海軍大臣の通訳としてヨーロッパに随行、パリ公使館にいる原敬とも出会っている。斎藤実の妻春子さんも 東洋英和女学校を出、英語が得意だった。
 米内光政はロシア語が得意
 米内も海軍兵学校を出ているので英語もできたが、得意ではなく学校での成績もわるく卒業後の出世も知れていた。が、ぺテルブルグ(ペトログラード)で大使館付武官補佐官となった時にそこでロシア語を猛勉強し、ロシア語で電話応対ができるのは米内しかいないといわれるほどだったそうだ。ロシア文学にも造詣が深く『ラスプーチン秘録』の翻訳もしている。その後語学力をかわれて欧州やシベリア出張につながり、米内はロシア語を学ぶことによって出世に弾みがついたともいえるそうだ。
 東条英機はドイツ語が得意
 東条は陸軍大学校を出ているのでドイツ語を学んでいた。公使館武官としてベルリンに駐在している頃、ベルリンやワルシャワで情報収集していた米内と出会っている。
 その他のエピソードとしては原敬は山梨県にあった『狭中新報』にぺネーム鷲山樵夫として論説を書いているが、それは斬首された楢山佐渡の号「北山樵夫」にあやかったものとか。
 米内光政は和製ジェームズ・ボンドだったと思えるほどスマートにかっこよく世界を歩き活躍していたこと。何故A級戦犯にならなかったのかなど。
 またヒットラーを風刺した映画を作ったチャップリンは岩手宰相と不思議な出会いがあったということなど。
 チャップリンは、5.15事件の前日神戸港に着いた。5.15事件を起こした青年将校たちはチャップリンの暗殺まで計画していたという。犬養の後継に斎藤実が選ばれた。チャップリンは滞在中、首相官邸を表敬訪問し斎藤実に会っている。その後2.26事件で斎藤実は惨殺された。
 その日から10日も経たないまだ戒厳令が敷かれた帝都にチャップリンが現れ奇しくも斎藤実の死をしることになった。など等他にもさまざまなエピソードを紹介してくださいました。
 語学力もあり辛抱強い武士のような岩手県人がコスモス的に活躍していた時代があったことを松田十刻さんのお話で再認識させられました。是非とも松田さんのシナリオで映像としてその時代を再現していただきたいものだと心から思いました。世界に知ってほしい岩手県人がたくさんいますし、やはり米内光政は渡辺謙ですね。本日はありがとうございました。                       (写真・記 小泉)