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 第26回文化サロン      2007年 2月15日(木)

「銀輪の覇者」、自転車は地球を救う
ゲストスピーカー    斎藤 純氏(作家)
プロフィール
 1957年1月5日盛岡市に生まれる。
立正大学文学部哲学科卒業後、郷里でコピーライターをしながら、1981年に『北の文学』(岩手日報社)に初の短篇小説「詩人たちの喧騒」を投稿し入選を果たす。
 1984年「辛口のカクテルを」で同誌の最優秀賞を受賞。翌年、入選作などを収め『辛口のカクテルを』(熊谷印刷出版部)を自費出版。これが編集者の目に止まり、1988年『テニス、そして殺人者のタンゴ』(講談社)でデビューした。その間FM岩手ディレクターと小説家の二足のわらじ生活を送っていたが、1991年に小説家として独立した。
 今回の文化サロンでは、2005年に
刊行し『このミステリーがすごい05年版』でベスト5に選出された『銀輪の覇者』(早川書房)の内容に触れながら、自転車の魅力を語っていただいた。
今年は暖冬で雪もない日が続いていたが、生憎、昨日から大雪。いらしてくださった斎藤純さんは、開口一番「僕は雨男なので、天気が悪くなってしまって・・・」と申し訳なさそうに話し始めた。
 盛岡の人は知らない人がないくらいに有名な斎藤五郎さんの息子さんで小説家だということは承知していたが、お会いするのは初めてだった。
長身の男前で、年齢よりどう見てもお若い。ジーンズを穿き、ラフなスタイルでおしゃれ。ついついお若いゲストスピーカーなのでミーハーのおばさん気分で観察してしまいました。
作家デビューは? 
『北の文学』に投稿していた作品をまとめて自費出版した『辛口のカクテルを』を高橋克彦さんが、出版社などに配ってくれていて、それが講談社の目に止まり「ミステリーを書いてみないか」と誘われ400
枚ほどを書き上げ、1988年『テニス、そして殺人者のタンゴ』が出版された。「そういうわけで高橋克彦さんが生みの親なんです」と話された。自費出版した『辛口のカクテルを』は後に文庫本にもなり、また神田の古書店で1,200円のその自費出版の本が6,000円ほどで売られていたそうだ。
炭鉱に持ち込まれるカナリヤのような感覚を生かし小説を書いている
(地球温暖化)8年ほど前に森林生態学というものを1年かけて学ばれたという。
地球の温暖化が知られるようになったきっかけは、ロイズ保険組合の調査だったとか。それは大豆などの不作が続き年毎に損害保険の支払が増加していたことから、なぜ不作が続くのかを科学者に依頼したもので、大気中の成分や南極や北極の200年前の氷の成分から二酸化炭素が増加し地球の気温が上昇する温暖化現象をつきとめたという。
(京都議定書)議定書が発効されてからその前と後で生活が変わりましたか?と問いかけられた。発効した日本は何の義務付けもしなかった。国際条約違反と言える。アメリカは締結を見送ったが、実際は自動車の2割を代替エネルギー車に変え、排ガス規制を実施しているという。
(1970年代の生活にに戻ればいい)温暖化、それこそ不都合な真実、被害者が加害者だという真実。
エコバックをいつも持ち、このようにマイ箸も持参しているという斎藤純さん。
←この本は、アメリカの元副大統領アル・ゴアが、温暖化へと突き進む地球を憂い、温暖化によって引き起こされる数々の問題を説いている。
左は斎藤純さんの著書『オートバイ・ライフ』。
人間は自然と共にあるという当たり前のことを知ったという。
『銀輪の覇者』
岩手日報に連載していたもので早川書房から出版され『このミステリーがすごい05年版』でベスト5に選出された。
ある時「自転車に乗るっていいな、音もなくスーと走って、ジェントルマンだ」と思われたそうだ。
自転車は18世紀末ごろの発明と言われ、はじめは前後2つの車輪をつけたフレームにまたがり足で地面を蹴って進むというもの、映像(ドライジーネ)のようにペダルもチェーンもない。1870年頃のエリエールという前輪が大きく後輪が小さい自転車が、ギアのアイデアの基でその後今のような形となった。


スクリーンに映された斎藤さんが持参した
映像。紹介された映像には自転車が描か
れた絵画などもあり、絵にも造詣が深いこ
とを知った。
←自転車の正しい通行について
世界初の自転車レースは1868年に行われたそうだ。 明治の初頭、日本にも自転車が輸入され、鉄砲鍛冶だった現在の宮田工業が初めて自転車の生産を開始。ツール・ド・フランスの自転車レースのような競技が、1898年上野・不忍池で日本人により初めて開催された。長距離レースは新聞社が主催し天狗煙草などがスポンサーになり上流階級の遊びとして盛んに行われたようだが、オリンピック参加資格の関係か、昭和9年賞金の出るレースが禁止されると共にその後、レースの記録もなくなったという。
盛岡に初めて自転車を持ち込んだのは、下の橋教会の牧師だそうだ。明治20年頃だというと外車だ。ベンツのような高価なものだったのだろう。その他にも自転車にまつわるエピソードをいろいろ話してくださった。
自転車びより』盛岡タイムスに連載
道交法改正(改悪)案の問題点などを連載。自転車は、歩道通行可能により、自転車の左側通行は守られず、無法状態を招いた。これは「自転車の安全利用」に名を借りた「クルマ優先道路を推進する案」でしかないので強く見直しを求めていた。
2月7日の自転車活用推進議員連盟の総会の席上で大幅に修正する案が出たそうだ。
警察庁はこれまでの「安全上、自転車を歩道に上げる」という暫定処置を大幅に見直し、「自転車の車道通行の徹底に取り組んでいく」と、かなり大胆な方針を示したという。自転車を歩道から車道に下ろすという主張が通ったことになりそうなのだと話された。
クルマの道路整備だけでなく自転車の通行環境の見直し、クルマと自転車の通行ルールの周知、マナー向上は、クルマのスピードの自粛、安全意識の向上につながり自転車の普及、温暖化の防止にも繋がる。安全、快適に自転車が乗れる街にしたいと斎藤純さんは思われているのだろう。
   

古書店で値が上がっているという『辛口のカクテルを』が幸運にも文化サロンの会場で手に入り、サインもして頂き、満足の笑顔・・・。
今日の文化サロンは、地球温暖化や自転車の歴史、道交法、ここには書きませんでしたがCDレコーダーや音楽業界の話、宮沢賢治のリヤカーやゴム長、あの映画「男と女」のジャン=ルイ・トランティニャンが30年ぶりに訪れ「盛岡には日本が残っている」と語ったという話など多岐にわたり、お話をうかがいながら以前に放映された斎藤純さん原作のフジテレビの連続ドラマ『モナリザの微笑み』を思い出したりもして、とても楽しいものでした。またコピーライターをされていただけあってどの小説の題名もなかなかしゃれているとも感じました。
これからもしゃれた楽しい歯切れのよい小説を期待しています。今日はありがとうございました。 (写真・記 小泉)