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第22回文化サロン 2006年10月19日(木)

  「短すぎた? ハチローの70年」
ゲストスピーカー 佐藤 四郎氏
サトウハチロー記念館・叱られ坊主館長
プロフィール
 1937年にサトウハチローの次男として生れる。名づけ親はハチローの父で小説家の佐藤紅緑。
 第ニ師範(現在の東京学芸大学)付属小学校、中学校を卒業後立教大学に入学。
 大学卒業後は報道カメラマンとなり、社会部・芸能部・皇室を担当。やがてコマーシャルカメラマンとして独立。西部流通グループの西部百貨店・西友・パルコなどの広告宣伝製作を担当したほか、コピーライターも兼務された。 
 その後、ジャスコ株式会社の招きで、副社長付き宣伝・販売促進担当顧問として同社をはじめとするイオングループの各社を担当。1994年、ハチローの妻で母だった佐藤房枝の死去に伴い、東京文京区のサトウハチロー記念館館長に就任。
 1996年、記念館の北上移転後も館長職を継承し、現在に至る。
 サトウハチロー記念館がなぜ北上にあるのか長いこと疑問に思っていましたが、佐藤四郎さんのお話で納得いたしました。
 サトウハチローさんの父佐藤紅緑は青森県弘前出身、母佐藤はる(河北新報の創設者一力健次郎社長夫人の妹)は宮城県仙台市出身であり、サトウハチローさんの知人友人は東北出身者が多かったこと、また佐藤四郎さんの奥様は北上出身であり、北上市長のご好意もあったりして、縁のある場所に落ち着かれたということのようです。
 記念館の所在地はこちらからhttp://www.okaasan-no-uta.jp/
kinenkan/nyuukan.html
 サトウハチローさんの詩のなかで最も多いのは「おかあさんの詩」で3600も書いているそうです。生前ハチローさんは、詩集「おかあさん」を刑務所に贈っていたそうです。館長の佐藤四郎さんもおかあさんの詩を全国の少年刑務所に届けるようになって、以前に贈られた詩集「おかあさん」が図書の中で最も読まれていることを知り、ほとんどの受刑者が「おかあさんに申し訳ないことをした」と思っていることを実感されたそうです。
 待っている人がいることを感じてほしい、そのためにもこれからも少年刑務所行脚を続けたいとも話されていました。
 北上市で「おかあさんの詩」コンクールを始めた時のエピソードなども披露してくださいました。
 
 また佐藤四郎さんは、左の写真のようなラジカセを持参され、サトウハチローさんの童謡や歌謡曲を聴かせてくださいました。
 ふたりは若い・めんない千鳥・りんごの唄・めんこい仔馬・うれしいひなまつり等など。 フォーククルセダーズの「悲しくてやりきれない」これもハチローさんの詩とは全く知りませんでした。 童謡や歌謡曲などたくさんの歌を作られましたが、演歌は一つとして無いとか。女性を差別していると嫌っていたそうです。
 どの歌も日本人で知らない人はいないでしょう。心に残る詩を書かれた天才詩人だったのだと再認識いたしました。 
 今回の文化サロンは見逃せませんでしたよ!なんとハチローさんの生の声での「小さい秋みつけた」の朗読があったのです。他にも貴重なハチローさんの談話の録音テープも聴かせてくださいました。
 ハチローさんは、詩が子供達にわかりやすい言葉で書かれているかどうかを知るために朗読してみてたそうです。その際に録音を四郎さんに手伝わせたそうで、600本もの録音テープが残されているそうなのです。

 ハチローさんの声を聴きながらテレビなどでお見かけした、館長さんも言われていたように照れ屋で気の小さい、どこか人懐っこ
いようなあのお顔を思い出しとても懐かしくなりました。皆さんも是非「サトウハチロー記念館」に行かれてみてください。今日は楽しいお話、そして貴重なテープを聴かせていただきありがとうございました。 (写真・記 小泉)