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 第20回文化サロン  平成18年8月17日(木)

  「新渡戸稲造は、評論家?エッセイスト?」
       ゲストスピーカー  佐藤 みさ子氏
       財団法人新渡戸基金編集委員・元IBC岩手放送アナウンサー
   
プロフィール

 佐藤みさ子氏は1943年盛岡生まれ。
 共立女子短期大学国文科卒業後IBC岩手放送にアナウンサーとして入社。1984年から10年間岩手日報のコラムを担当。
 1991年から1998年まで財団法人新渡戸基金に勤務され、現在新渡戸基金編集委員、新渡戸稲造会理事を務めています。
 主な著書としては『こころの風ぐるま』『風の竪琴』『アクティブな青年 新渡戸稲造』などがあります。
 
 今回の文化サロンでは、長年新渡戸稲造の文章に親しんできた経験を基に、文章家としての新渡戸稲造に焦点を当てての話をしていただきます。


爽やかな声・爽やかな容姿の
佐藤みさ子さん
 佐藤みさ子さんは、『武士道』の著書として知られ、教育者などという堅苦しいイメージで見られがちな新渡戸稲造先生は、実は親しみやすいエッセイストの顔を持ち、評論家の一面も持ち合わせていたことや、博愛に満ちた生き方などについても、数々のエッセイやエピソードを紹介されながら、わかりやすく解説してくださった。
ご持参された資料の年譜から抜粋
1862(文久 2)年 9月1日、盛岡(鷹匠小路))に南部藩士の新渡戸十次郎、母勢喜の三男として生まれる。
             祖父伝は三本木(現・十和田市)の開拓者。父1867年逝去(享年48歳)
1871(明治 4)年 8月叔父太田時敏を頼り上京。 築地英学校に入学(なんとまだ9歳)。
             祖父伝死去。叔父太田時敏の養子となり太田稲造と改名。
1875(明治 8)年 東京外国語学校を経て
1877(明治10)年 札幌農学校第2期生(内村鑑三も同期生)として入学。
1880(明治13)年 母逝去(享年57歳)翌年卒業。その後札幌農学校予科教授になる。
1883(明治16)年 東京帝国大学専科生となるが、札幌で学んだ以上のもはないと思っていたところに、札幌
             農学校1期生の花巻出身の佐藤昌介がアメリカにいて渡米をすすめられる。
             翌年米国ジョンズ・ホプキンズ大学(JHU)に入学。
             その後ドイツのボン大学、ベルリン大学、ハレ大学に学ぶ。その間、瞑想をとおして
             神の声を聞くクエーカー教徒(フレンド会)になり、そこでメリイ・エルキントンと出会う。
             長兄の死後、新渡戸姓に復帰する。
             その後、農政学研究のためドイツへ官費留学。
1891(明治24)年、メリイ・エルキントンと結婚。帰国し札幌農学校教授となる。
1894(明治31)年 札幌遠友夜学校を設立。
1898(明治31)年 札幌農学校を退官し、病気療養のため渡米、カナダで転地療養。「農業本論」を出版。
1900(明治32)年 「武士道」を出版。
1901(明治34)年 台湾総督府局長心得となる。その後、京都帝国大学法科教授になる。
1906(明治39)年 第一高等学校校長就任。東京帝国大農学部教授兼任、明治42年より法科教授も兼任。
1913(大正 2)年 東京帝国大学教授専任、のち大正7年東京女子大学初代学長に就任。
1920(大正 9)年 国際連盟事務局次長就任。
1926(大正15)年 国際連盟事務局次長辞任。貴族院議員に勅選される。
1929(昭和 4)年 太平洋問題調査会理事長に就任。京都にて太平洋会議開催、議長を務める。
1931(昭和 6)年 上海の第4回太平洋会議に出席。
1932(昭和 7)年 渡米し百回以上の講演をし、日米両国の平和維持のため努力する。
1933(昭和 8)年 カナダ、パンフの第5回太平洋会議に出席。10月15日ビクトリア市にて逝去。享年71歳。
1.新渡戸稲造著作数(合計41冊)
  日本語による著作・・・28冊
  英語による著作・・・・・12冊
  ドイツ語による著作・・・1冊
2.『武士道』はエッセイ
 1900(明治33)年、38歳の時の著作。
 日本人の特性を外国の人に知ってもらうために
 英文で書いたもので数カ国語に翻訳されている。 
 サブタイトルに「The Soul of Japan」とあるよ
 うに決して戦いについて書いたものではない。
3.『英文毎日』に英語で評論を載せている。
4.『実業之日本』に「修養」「世渡りの道」「自警」
 「一日一言」「人生読本」など生き方についての
 エッセイを多数発表。
5.『婦人画報』に10年間にわたり連載したものから46篇を集めて大正6年に『婦人に勧めて』を出版。
 新渡戸稲造全集(昭和44年)の「婦人に勧めて」の解説文を前田多聞氏の娘の神谷美恵子さんが書いている。
 神谷美恵子さんは、ハンセン氏病につくした精神科医で美智子皇后の相談役でもあった。
 前田多聞氏は新渡戸稲造の教えを受け継いでいるひとりで、初代の文部大臣で教育基本法を成立させた。
 こんなエピソードも・・・神谷美恵子さんの妹はソニーの創業者井深大氏の奥さん。ソニーが窮地に立った時に、
 野村胡堂が大金を出し救ったという。当時「銭形平次の投げ銭がソニーを救った」といわれたそうだ。
  『婦人世界』に3年間連載した女性の生き方などを書いた176篇を集めて「一人の女」を出版。
 このような実用的で世俗的なエッセイを書くことは、当時は教授がすることではないと思われていた。
 新渡戸先生は、知識や教養は限られた一部の人のものではなく、全ての人に身に着けていてほしいという
 深い思いがあり、お手伝いさんにも読んでもらい誰でも理解できるように具体的でわかりやす文章を書いた。
 
6.『読書と人生』早稲田大学科外講義として二日間、大隈講堂で行った講演を20項目に編纂したもの。
 読書は人間を作るものであること。毎朝5分でもいいから大声で朗読することや、書き込みしながらの読書を
 すすめている。
 『JAPAN-Some Phases of her Problems and Development-(日本-その問題と発展の諸局面-)』
 1931年(69歳)英文で出版。武士道は38歳という若い時に日本人の考え方を知ってもらうために書いた
 ものであるが、こちらはそれから30年後に、日本を外国に紹介したもの。もちろんメリイさんの内助の功も
 あったのでしょう。
  
 その著作の前書きには「・・・新渡戸博士は稀な例外である。彼は英語を素晴らしく駆使することができる。ジュネーヴでの経験から、彼は西洋の政治を知っており、また、西洋の政治舞台での指導的人物の多くをも知ってもいる。彼はまた、その祖国を熱愛する人でもある。本巻は彼が日本について筆をとったもので、イギリス人が書きそうな類のものとは全く違うが、まさにその理由のため、本巻はいっそう有益である。というのは、読者は本巻から日本について大切なことをたくさん学ぶだけでなく、才識豊かな一日本人が祖国を正しく理解するためにも最も大事と考えている事をも教わるからである。H・A・L・フィッシャー閣下」
『街もりおか』8月号に
-木造校舎と新渡戸稲造-
という表題で佐藤みさ子さんの
エッセイが掲載されています。
そのエッセイから
遠友学校の創立、廃校に至った
経緯などを知ることができます。
偉大な教育者であった
新渡戸ご夫妻の慈愛の心を
より深く知ることもできますので
是非お読みください。
遠友夜学校のこと
 貧しくて学べない人達のために学校を作りたいという夢が新渡戸先生にあった。
 たまたまメリイ夫人の実家で引き取って、家族同様に一生を送った孤児の遺産が、亡くなった本人の希望によりメリイに送られてきた。
 それを基に豊平橋近くの河畔に土地と家屋を求め、遠友夜学校を造り教育に努めた。
 
 夏休みということもあり、文化サロンに初めての親子での参加がありました。

 佐藤みさ子さんの著書
『アクティブな青年新渡戸稲造-僕は、稲造さんを追って世界に飛んだ-』


 この本は、中学生の真君が新渡戸稲造の足跡を追ってフィンランド・オーランド諸島、スイス、オーストリア、アメリカ、札幌、台湾、カナダへと旅をし、岩手の偉人、真の国際人新渡戸
稲造の生き方を自ら知り、将来の夢をつかむことができたという筋立てになっていて、若い時に尊敬できる人に出会うことの大切さを語っている。若い人にぜひとも読んでもらいたい本だ。若くない私も楽しみながら新渡戸先生の足跡、功績を知ることができました。
『開いた心をもとめてニトベ・フレンズセミナー』
佐藤全弘著


新渡戸稲造を宗教的側面から論じた著作

新渡戸稲造はキリスト教徒であるが、ジュネーブ大学の講義で「クェーカー主義においてのみ私はキリスト教を東洋思想に融和させることができた」と述べているという。
 私は、キリスト教のクエーカー教徒というものを知らなかった。教会、牧師ももたず、あらゆる宗教を容認し、静かな瞑想のなかで神を思うという宗教は、確かに日本人の宗教観に近いように思われる。
 この2冊の本のお求めは、財団法人新渡戸基金へ。ホームページはこちらhttp://www.nitobe.com/
 新渡戸基金は、本の出版、セミナーの開催、論文の募集、また奨学金もだしているそうです。詳しくはホームページをご覧ください。
 最後に佐藤みさ子さんは、新渡戸先生の生涯は、全ての人が幸せになることを願って全力を尽くされたものだった。またメリイ夫人と手を携えて同じ目標を目指した生き方に教えられるものが多くありますと語られました。

 お集まりの皆さんからも新渡戸先生の功績を広く知ってもらいたい。教科書に載せてほしい。郷土の誇りだ。というようなご意見をいただきました。
 戦いの止まない不安定な今の時代に、新渡戸先生のような深い見識のある国際人がいてほしいものだと心から思えた本日の文化サロンでした。佐藤みさ子さんありがとうございました。           (写真・記 小泉正美)