現在の位置:ホーム >文化サロン >第14回文化サロン

第14回文化サロン   2006年2月16日
「通じなかった日本の常識〜未知の国々での体験」
   ゲストスピーカー 梅原愛雄氏
   国際協力機構協力隊カウンセラー・有限会社パコスジャパン代表取締役
プロフィール
1939年サハリン生まれ。
岩手大学学芸学部卒業後、岩手日報に入社。宮古支局長、編集局報道部次長、運動部長、編集委員室次長などを経て、平成7年7月に退職。その間岩手県青年海外協力隊を育てる会の理事となり、国際協力事業への関心を深めました。
平成8年11月(有)パコスジャパン代表取締役となり、フリージャーナリストとして現在も活躍されています。   
主な著書
「ドキュメント出かせぎ」「アフリカ有情 国際協力と日本人」「トップリーダーの美学」「水の記憶」「ケニアに愛をこめて」

 梅原さんが国際社会に興味を持ったきっかけは、オリンピックとアフリカの飢饉だったようです。
 昭和39年の東京オリンピックの開会式をまじかに見、岩手日報記者として取材をしなくてはならないと思いながらも、入場行進してくる知らない国、開発途上国を含め94カ国の選手団に釘付け、目が離せないほどショックを受けたそうです。
 その数年前の1985年アフリカが深刻な飢餓に見舞われ世界中がアフリカ支援に立ち上がり、盛岡でも毛布を集め送ったりする運動があり、岩手日報でも募金箱を置き、昼食を抜いて募金をしたりなどしたそうです。
 ポケットマネーを出すだけでなくマスコミの世界にいるのだから何かできることがあるはずだと、支援のその後を検証するため往復の旅費だけ出してもらい国際協力事業団の取材を兼ねて、1986年アフリカに渡ったそうです。
 その頃アフリカに行く人は少なく、ポンペイからナイジェリアに行く飛行機には日本人はたったひとりだったとか。
●アフリカで
ケニア 1963年英領から独立。キリスト教25%
 首都ナイロビに着いた時、トランクは届かず、自分で捜すように言われ捜している最中にパスポートを機内に落とし、気づかず降りて、その後気づき、飛び立った飛行機を日本ではありえないことですが止めてもらい無事パスポートは戻ったそうです。飛行機を止めても「ノープロブレン(問題ない)」と言われたとか。
 トランクは、別の空港に行っていたらしく1週間後に届き、その後は、梅原さんと共にたくさんの国々に渡たり、忘れられない思い出のトランクになっているそうです。
 ケニアで国際協力事業団(JICA)から派遣されていた遠野出身の岸田袈裟さんに出逢い、その後も岩手の人が国際社会でどれだけ役に立っているか調査に何度か再訪し、1ヶ月ほど滞在したこともあるそうです。
 岸田さんは、素足は切り傷から雑菌や寄生虫が体内に入ることが多いので危険だと藁草履の作り方を教えたり、井戸の掘り方、かまどの作り方、飲み水は沸かして飲むことなどを教えたり、様々な人口減少を抑制するための草の根的な活動をしていたそうです。
ハリネズミの針 内陸には塩がなく、どのように塩分をとっているかというと、牛の生血をハリネズミの針を突き刺し吹き出す血を採取し血液中の塩分をとっているとか。
←アフリカの内陸の赤い土と海岸よりの白い土
タンザニア
 1961年独・英領を経て独立。1964年サンジバルと連合共和国。首都ダルエスサラーム。イスラム教が大半。
 サンジバルで100年前のガラス乾板が見つかり日本髪の女性が写っていたそうです。唐ゆきさんか?
                 岸田袈裟さんの活動を紹介→
                
発行所 株式会社国際協力出版社
●東・東南アジア
バングラデシュ 1947年 英領からのインド、パキスタンの東パキスタンの分離時に独立。首都ダッカ。87%イスラム教。
大河川デルタ地帯で雨季には1/3が水没する。
日本から耕運機を送ったが、乾季に歯がぼろぼろになりすぐ壊れてしまったそうです。

モルディフ 1965年 英保護国から独立。19の環礁、1196の島から成立。首都マレ。イスラム教。
 岸壁を造ったら波が島にかかるようになってしまったそうです。どうもサンゴ礁が波を吸収し津波予防に役立っていたのに工事でサンゴ礁が破壊され波が強くなったらしいのです。
●中南米
パナマ 1903年にスペイン支配、コロンビアの1州から運河建設推進のアメリカの支援で独立。首都パナマ市。カトリック。混血65%。先住民(10%)、米南方軍1万1千人常駐。2,000年に運河運営権獲得。
 梅原さんがかざした折りたたみ傘の柄はスペイン語の新聞。
 麻薬取引が横行し麻薬マネーのロンダリングで高層ビルが建設されていた当時、実権をにぎっていたノリエガに対し民主政治の確立を主張していた新聞社「ラ・プレンサ」。襲撃にあいながらも1989年ノリエガ解任の記事を出し、その新聞を記念として作った傘だそうです。当時はアメリカのちからを借りた民主化であったため、アメリカはその後も軍をパナマ運河に配し、運河運営権を独占したそうです。
2,000年にやっと運営権を獲得でき、これからはパナマ人自らの手で民主的な国の基礎作りをしなければならない、という思いをこめて新聞社の社長が、当時を振りかえりながら下さったそうです。
パナマックス・サイズ パナマ運河は、太平洋側のパルモア湾とカリブ海側のコロンまで結ぶ間に6つの水門があり、運河の幅員は31.5m、この運河を通るには世界のどんな国もそれを上回る胴周りの船は造れないことをそう呼ぶそうです。
ドミニカ共和国 1492年コロンブス到達。西、仏領、ハイチの占領を経て1844年独立。さらに西再占領から65年独立。1916年〜1924年の米占領、内戦などのすえに1966年共和制を整える。首都サントドミンゴ
 日系2世の山下さんが柔道を指導しているサントドミンゴ自治大学の柔道部と岩手県の富士大学柔道部は姉妹クラブを締結していて岩手から60着の柔道着を贈呈したそうです。
●南太平洋で
バヌアツ 1980年 英連邦の一員として独立。首都ポートピラ。
 岩手大学のボランティアが修理した車椅子を送ったのですが、タイヤがパンクしてしまい、喜ばれたのは本体より500円のエアーポンプだったとか。
世界の中の日本
 多くの国に行き、多くのボランティア活動を見てきた梅原さんは、ボランティアのあり方についても考えるようになったそうです。日本の貢献度は果たして?世界で最もお金で貢献しているとはいえ評価されているのだろうか?
 ただ物やお金を送るのではなく、草の根的な持続可能な先を見据えたボランティアシステムを考えていかなければならないと話された。
忘れてはならない借り
 戦後ユニセフに助けられたことのお返しのシステムを作っていかなければならないとも話された。
国際協力と東北、岩手
 岩手の先人は素晴らしい!また今も様々な分野で活躍している岩手の人がいるがあまり知られていないのは残念でならない。
 新渡戸稲造の世界的貢献はもちろんのこと、ブラジル移民の端緒となった外交官の杉村 濬、その長男の杉村陽太郎は東京オリンピック招致に奮闘、外交官としても国際的に評価が高かった。その子孫はペルー大使になった青木盛久氏。またメキシコ移民に力を尽くした元医師会会長の照井亮次郎氏、初めて発音記号を考え出した人は長岡輝子の父親長岡 拡。
 盛岡NGO第一のシステムを作った浅野七之助氏。ケニア中央医学研究所のプロジェクトの委員を務めた人は、岩手医大の川名林治名誉教授。ザンビア大学医学部にウィルス研究所を開設し、エイズをはじめウィルス病診断の技術指導を行っている岩手県出身の沼崎義雄氏など多くの人が活躍している。
 原点は野口英世と宮沢賢治ではないかと語られた。         
 ネパールには賢治スクールというものがあるそうです。ネパールと日本の青年交流事業で岩手を訪れ宮沢賢治に魅せられた現地の人が財を投げ打って建てた小学校だそうで、花巻の小学校と絵を描いて送りあい交流が始まっているそうです。
 梅原さんは、岩手は逆境に耐えてきた歴史、そこに培われた思想があり、世界の大統領を選ぶなら宮沢賢治。世界貢献の国際共通の常識は宮沢賢治でしょう、とも話され、宮沢賢治を尊敬している私としても大満足のまとめでした。私は世界を何も知らないことを痛感した日でもありました。まだまだたくさんのお話を聞きたかったのですが時間が短く残念でした。またの機会によろしくお願いいたします。  (写真・記 小泉正美)