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第12回文化サロン  2005年12月15日
「盛岡の忠臣蔵〜四十七士異聞〜」
ゲストスピーカ:斎藤五郎氏
 「街 もりおか」編集長・岩手県芸術文化協会常務理事
プロフィール
斎藤五郎氏は1930(昭和5)年盛岡市八幡町に生まれ。父親が衆楽座、旧盛岡劇場の舞台装置師だった関係で幼少より舞台に慣れ親しんだといいます。
 盛岡工業高校機械科を経て入学した日大法学部を半ば家業を継ぐかたちで中退し、独立映画社轄痩f社に入社し支配人として東京、秋田、弘前、盛岡などの映画館に勤務。
 昭和48年岩手県民会館設立メンバーとしてスカウトされ、18年間施設、事業課長を勤めました。  
 平成10年盛岡市民文化ホールの初代館長となり、同館退職後は「街もりおか」の編集長として活躍されています。
 岩手県教育表彰(学術・文化)、NHK東北ふるさと賞、県・市芸文協表彰などを受賞されています。
 今回の文化サロンは、12月15日にちなみ盛岡にまつわる忠臣蔵についてお話いただきました。
 「頃は元禄15年、月こそ替われ師走半ばの14日・・・・・」と講談調のつやのある遠くまで響き渡る第一声。
 14日と講談で語られますが実は朝4時で、15日なのですね。まさに今日なのです。と斎藤さん。

 編集長をされている「街 もりおか」の2004年12月号に斎藤五郎さんが書かれた「最後の忠臣蔵」寺坂吉右衛門異聞が掲載されています。

 最初に忠臣蔵について復習ということで、赤穂の殿様がどうして詰め腹を切らされたかということについて話された。  

 後々に興行として忠臣蔵が演じられたり語られたりするようになり史実でないものもたくさん追加されていった。
 討ち入りの装束についても実際は揃いのものなど用意できたはずがなく、討ち入り当日、その頃は二階建てはなかったのに蕎麦屋の二階に集まったというのもありえないこと。
 
 

 四十七士は、討ち入り後、全員切腹することになったが、実はだだ一人生き残った者がいたという、昨年NHKで放映された「最後の忠臣蔵」の主人公、寺坂吉右衛門。
 討ち入り後、大石内蔵助の密令で浅野内匠頭の未亡人と芸州広島の浅野の本家に事の次第を報告し、その後討ち入りの事実を語る生き証人として全国の大名に報告して歩いたという。      
寺坂吉右衛門異聞とは?    ここ盛岡に墓があるというのだが・・・
 「南部叢書」に『阿弥陀堂山岸村にあり。因伝。赤穂の義士に加わりたる、同心組、寺坂吉右衛門が墓所、此境内にあり。そは元来、此国の生立なりしか。彼あた打ちの後、家族とともに逢い見んとて、此地に下りて身まかりきとそ。』とあるそうです。
 寺坂は西根町寺田の出身で、討ち入りの時のサブリーダー格の吉田忠左衛門兼亮の中間(ちゅうげん)で南部領から出稼ぎしていたと思われるとか。
 斎藤さんはその墓地をいろいろ探しまわり、盛岡市下米内にある永福寺の熊谷住職さんから「永福寺の門前に松の美林の西光院という寺があって、墓はそこにあった。」とお聞きすることができたそうです。今はその寺はなく鉈屋町の千手院の墓地(山岸小学校裏)に自然石に南無阿弥陀仏と刻まれた寺坂吉右衛門を弔ったというお墓があるそうです。
 永福寺の43世の中弁僧正が将軍綱吉の生母桂昌院の信望厚い護持院にいた頃、浅野家の専任の祈願僧でもあった。寺坂が密使として討ち入りの次第を盛岡の永福寺に転勤していた中弁僧正に報告に来て、その時に同志の菩提を弔って建てた供養塔ということのようだ。
 史実では、寺坂のお墓は東京麻布の曽渓寺にあり、83歳で没している。吉田忠左衛門の娘の嫁ぎ先に働きに行って、曽渓寺の留守番をしていてそこでなくなったとか。また泉岳寺にも2つの墓が、仙台の泉区や島根県、鹿児島にもあるそうです。

他にも忠臣蔵異聞が?
 石鳥谷の広済寺の墓地(花巻市大畑)には大石内蔵助の紋の入った大石家の墓群があるとのこと。
赤穂のお金を持って逃げたと言われる大野九郎兵は、実は内蔵助の妻大石リクと討ち入りが失敗した時、再度のあだ討ちに備えて待機していて、本懐をとげられたのを聞いて大野は自害し、大石リクを南部へ逃がしたという。子孫も現存しているとのことだが・・・・。
 
 忠臣蔵以外にもいろいろな異聞を披露してくださいました。水沢には八百屋お七の墓があるとか?恋慕相手とされる吉三郎がお七の菩提を弔うため全国を行脚し水沢でお七の墓をたてたとか。水沢に火災が発生した時、そのことを知らせるようにこの墓から火がのぼり大事に至らなかったという言い伝えもあるという。
 斎藤さんは「伝承の始まりというか、ありもしないことまで伝えられたり書かれたりてしているものですね。意外と観光資源がそこにあるかもしれないですよ」とも語られました。

 史実と言い伝えなど、たっぷりとお話してくださいました。まだまだ楽しいお話が出てきそうなところ、時間の関係で終わらせていただきました。そのままずうっとお聞きしたかったので残念でなりませでした。
                                                        (写真・記 小泉)